2012.3.27up

ハンナ・スコウ・ピーターソン先生にインタビュー

 2月3日~20日まで、デンマークでスズキスクールの校長をされているハンナ・スコウ・ピーターソン先生が来日され、松本で一緒に研究に没頭されました。  ハンナ先生の故郷は、デンマークの首都コペンハーゲンから西に500km離れたモース島にあります。松本までの地図上の距離は相当なものですが、デンマークはヨーロッパで最も早くスズキ・メソードを取り入れた国で、実はとても近しい国でもあります。


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 1981年の「第2回ヨーロッパ スズキ・メソード国際研究大会」がコペンハーゲンで開催された時には、かつて松本に留学されていたヨーロッパ中の指導者が生徒を連れて、鈴木鎮一先生との楽しい日々を過ごされました。この国際研究大会をきっかけに、ヨーロッパ・スズキ・アソシエーション(ESA)を誕生させることが決議されたのです。ESAは、その後、大変活発に活動されており、生徒数が各国で増加しています。そして、2011年の東日本大震災に対しては支援をいち早く決定され、加盟する各国からたくさんの寄付金を松本に送ってくださいました。そのお礼として、夏期学校の様子をまとめたVTRを日本から送り、その画像がESAのサイトで公開されるなど、頻繁にやり取りが続いています。ハンナ先生の学校「Morso Suzuki Skole」でも、レッスンのたびに生徒が寄付をするという活動をされたそうです。頭が下がりますね。

 「Morso Suzuki Skole」は、ハンナ先生を指導されたグナ・ミューラー・ボル先生が作られた学校です。ボル先生は素晴らしい先生で、たくさんのスズキ・チルドレンを育てられました。鈴木先生とスズキ・メソードとの出逢いによって、子どもたちへのボル先生の指導法は激変したそうです。ハンナ先生によれば、「それは革命的なことでした」とのこと。小さい頃から始めること、母親が稽古についてくること、上達が早いこと。それまでの伝統的なメソードと違う、スズキ・メソードに心酔したボル先生が、モース島にスズキ・メソードを持ち込まれたことになります。それが、まさに1981年、12歳になっていたハンナ先生は、その時にボル先生を通して、スズキ・メソードと出逢ったのです。  ボル先生は手探りながらも、一生懸命にスズキ・メソードを研究されたそうです。ハンナ先生は、その教えを受け、育ちました。地元の高校を卒業すると、デンマークで一番最初にスズキを始められたデトレコイ先生にコペンハーゲンで師事されました。「ラッキーなことに、先生の奥様がTeacher Trainerでしたから、指導者になるための勉強も教わりました。ご主人からは個人レッスン、奥様からはトレーニング。二人から集中的に学ぶことができ、素晴らしい環境でした」とのことです。(注 デトレコイ先生ご夫妻は松本にも何度も来られたデンマークのスズキの草分け的存在です)


ハンナ先生の学校「Morso Suzuki Skole」の様子です。
世界中でスズキ・メソードが定着していることがわかります

 ハンナ先生は、1993年に1ヵ月間、松本に滞在し、鈴木先生のグループレッスンを毎日受けた経験もあります。「1983年にもフランスのリヨンで、鈴木先生には一度お逢いしていましたが、10年後の松本でも鈴木先生はとてもお元気で、毎日、ユダス・マカベウスを教わりました。松本での経験は、とても素晴らしいものでした。心温まる場所であり、スクールはアメイジングな場所でした。それに松本市がとてもきれいで、山が美しい。実は、デンマークは山がなく、国土がフラットです。だからというわけではありませんが、松本で山登りはしませんでしたね」と笑っておられました。  ボル先生が1999年に亡くなられた後、ハンナ先生は「Morso Suzuki Skole」の校長として活動を続け、すでに12年が経過しています。今回の来日の目的は「自分のスクールのプログラムをハイレベルにしたいし、日本のシステムを勉強し、日本の素晴らしい先生たちから多くのことを学んで帰りたい」と大変意欲的です。舘ゆかり先生、豊田耕兒先生から、「大変鼓舞されました」そうです。

 「豊田先生の弦楽のレッスンは、とてもハイレベルでしたね。鈴木先生の教えを継承しておられました。舘先生も生徒たちに素晴らしい個人レッスンをされていました。とてもハイレベルです。具体的には、生徒への指導がとても真摯で、親切な言葉で指導されていたことが印象に残りました。ご自身のスタイルもお持ちで、鈴木先生の教えていらっしゃったことをふまえて、ご自身のスタイルも教えていらっしゃるところも感銘を受けました」正岡先生も素晴らしくこれから先生になろうと勉強しに来ている若い人達への教本のレッスンは非常に参考になりました。私自身も、貴重なアドヴァイスをいただきこれからもしっかり研究を続けたいとおもいます。


舘ゆかり校長の個人レッスン後に記念撮影


個人レッスンの様子(才能教育会館ホール)

 「その他にも、結城美紀子先生のクラスを見学しましたが、今まで見たことのない素晴らしい先生でした。20名のグループレッスンで、約1時間かけてキラキラ星変奏曲を指導されていました。逆さ弓もあり、その指導法がとても気に入りました。すぐに実行したいと思いました。音を子どもたちに聴かせて、音がどう変わるかを聴かせていました。結城先生が弾いて聴かせる音を、子どもたちが集中して聴いていました。子どもたちのその集中力にびっくりしました」

 このようにハンナ先生は、今回の松本訪問で、大きな宝物を得たそうです。「私が松本に来たことは、クラスの生徒たちにとっても、大変エキサイトな体験として見てくれています。皆、私の経験を聞くのを楽しみにしています。ボル先生がかつて鈴木先生からたくさんの宝物をいただいたように、今回は、私が伝える役目を持っています。時代は違っても、精神は同じですね」

 まさにその通りです。思いやノウハウが語り継がれていくことで、スズキ・メソードは絶え間なく世界中の隅々まで広がってきましたし、これからもそれは変わりありません。


ドニゼッティ作曲のオペラ《ドン・パスクァーレ》より「もう一度、愛の言葉を」を教材に、
髙橋利夫先生による音楽表現法に参加。レッスン後に音楽院生と記念撮影をしました

 2013年3月に松本で開催される世界大会に、ハンナ先生はモース島の子どもたちも連れてきたいと考えています。大変な距離を移動されることになりますが、子どもたちの輝くような瞳を楽しみに、きっとハンナ先生は実行されるでしょう。皆さんも世界大会で、デンマークの子どもたちやハンナ先生を見つけられたら、ぜひ声をかけてあげてくださいね。