卒業後の進路
大久保貴ェ先生

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卒業した先輩たちの姿

最近、音楽院を卒業した先輩たちの姿を紹介します。

●大久保貴ェ先生 (愛知県出身、音楽院を2009年春卒業後、徳島支部に着任)
 2009年春、国際スズキ・メソード音楽院を卒業したばかりの大久保先生が着任したのは、徳島市の教室。もともと音楽院生時代から北陸越地区や関東地区の先生たち、そして親先生にあたる牧野千世先生(東海地区ヴァイオリン科指導者)の合宿などに呼ばれた経験が豊富だったこともあって、とけ込むのがあっという間だった大久保先生。生来の人なつこさと笑顔で、周囲の心を素早くつかんだのです。
蔵本球場前の広場に集まった教室の皆さん、さっそく阿波踊りがスタートしました。「連」に参加することから始まる阿波踊りだけに、「スズキチルド連はいかが?」の声もあって、とってもにぎやかです。
 大久保先生の経歴は異色です。スズキで育ち、一般の大学卒業後、OA機器メーカーに就職し、会社のオーケストラでヴァイオリンを弾いていました。企業にOAの提案や各種コーディネイトを受け持つ業務コンサルタントとして銀座で3年、大阪で1年が過ぎた時のことです。「急にスズキ・メソードの指導者になりたい」と思いつき、実家の近くで教室を開いておられた牧野先生を正月休みに訪ね、相談。反対されながらも、会社員時代に貯めたお金で3、4年は音楽院での勉強ができる、と決意したのです。すぐに退職。「毎日、キラキラ星だけを弾く生活を半年、残りを音楽院の受験のために費やした」というから尋常ではありません。見事に思いは通じ、音楽院に合格。「おにいちゃん」と誰からも慕われた5年間の学生生活を充実させました。
音楽院生時代の松本市内のたまり場のお店で「送り出しパーティ」。人との出逢いを大切にする大久保先生ならではの光景です。
 2009年春の卒業演奏会で、『愛に生きる』を何十冊も用意し、聴衆にプレゼントしたのも大久保先生らしい振る舞いでした。
 「落ちこぼれだったから、なぜ弾けないかよく分かります。なぜ練習しないかも」と話す大久保先生の登場で、新風が吹き込まれた徳島。教室長のお母さんからも、「先生がOKなら、もっともっと会員を増やしましょう」と発破をかけられています。支部と折半で負担するレッスン場兼住居は広く、グランドピアノもあり、30名を超す生徒を持つ恵まれたスタートをきって半年。
「ドイツ舞曲」を演奏した生徒。右手の弓さばきのために、ゆっくり弾くことを実践。「この速度に堪えられると素晴らしい!」
 「住民票を徳島に移したことを教室長に喜んでもらえました」と話す大久保先生は、2009年には実施できなかった合宿を2010年に向け準備中です。また、教室コンサートも計画しています。徳島の熱い波はさらに続きます。
「足の裏から響かせて」とメンデルスゾーンの協奏曲を弾く生徒にレッスン。速いパッセージでも楽に弾くため、「あぐら」をかいての練習法も実践していました。
お母さん先生に構え方の基本を示しているところ。挨拶の言葉遣いにも正しい日本語を促していました。
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